歴史

歴史 · 2018/08/12
三嶋暦とは、静岡県の三島神社(三嶋大社)へ献上していた暦のことを指します。 京暦に次ぐ古い歴史を持つ暦であり、ひらがなを使った仮名版暦として有名になり、広く普及しました。 江戸時代より前から発行されていた暦としては、京暦、三嶋暦のほかに、大阪暦、丹生暦、南都暦、大宮暦、鹿島暦、会津暦などがありました。 江戸時代の初めごろまで、伊豆国、相模国、関東諸国、甲斐、信濃、駿河、遠江までひろく頒布していました。

歴史 · 2018/08/05
2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」の視聴率が、東西で大きな開きがあると報道されました。 当然のことながら、西日本のほうが東日本より3ポイント以上も視聴率が高いのだそうです。 しかし、全国的に人気の高い坂本龍馬や、勝海舟が登場し、江戸方面に徐々に移っていくので、これからは東日本でも視聴率が良くなっていくのかもしれません。 というわけで、2度目となる西郷隆盛をめぐる人間関係を、大河ドラマでの関わりと重ねて調べてみました。

歴史 · 2018/06/30
元亀元年6月28日(1570年8月9日)に、現在の滋賀県長浜市野村町付近で行われた合戦のことを、姉川の戦いと呼びます。 「姉川の戦い」という呼称は徳川氏の呼び方で、この戦いについては、参戦した武将によって呼称が異なっています。 織田信長と徳川家康の連合軍と、浅井・朝倉連合軍の戦いですが、姉川の戦いには、徳川家康はもちろんのこと、のちの天下人・木下藤吉郎(豊臣秀吉)も参戦し、このときの調略が成功して出世の階段を登り始めます。 また、名の知れた戦国大名が多数参戦しており、さながら戦国オールスターの戦いの様相を呈しています。 姉川の戦いは織田・徳川連合軍の圧勝と伝わっていますが、3カ月後には、浅井・朝倉連合軍は3万の兵を率いて宇佐山城を攻め(宇佐山城の戦い)ており、その後、信長が行った比叡山延暦寺の焼き討ちも、浅井・朝倉連合軍との戦いの流れのなかで起こったことです。 そして、織田信長に攻められて小谷城が落城し、浅井長政が自害する天正元年9月1日(1573年10月6日)まで、実は3年もかかっています。 このような状況から、姉川の戦いは、織田信長が

歴史 · 2018/06/05
歴代の天皇について、九星気学と二十七宿の大調査を行いましたが、同じように歴代の総理大臣についても調べて見ました。 初代の伊藤博文から安倍晋三まで、途中、臨時や兼任で首相となった人物もいましたが、正式に総理大臣となった人物だけで62人いました。

歴史 · 2018/05/24
占いの仕事の場合、お名前と生年月日がわかれば、姓名占い、九星気学、宿曜占星術の3つで占うことができます。 明治以降、戸籍制度がはじまったこともあり、明治以降に生まれた人物については、占うことは割と簡単です。 しかし、西郷隆盛の例でもわかる通り、名前がどんどん変化していきます。 ⇒ 西郷隆盛の人間関係を九星気学と宿曜占星術で見てみると そのため、姓名占いよりも、生年月日で占ったほうが良いと考えています。 歴史上の人物で、生年月日がもっとも記録されているのが歴代天皇です。 そこで、歴代天皇の生年月日を調べたところ、誕生年はわかっているだけの天皇は次の20人でした。 後亀山天皇(第99代天皇)・長慶天皇(第98代天皇)・後村上天皇(第97代天皇)・後深草天皇(第89代天皇)・光孝天皇(第58代天皇)・文徳天皇(第55代天皇)・仁明天皇(第54代天皇)・淳和天皇(第53代天皇)・桓武天皇(第50代天皇)・称徳天皇(第48代天皇)(孝謙天皇と同一人物(重祚)) ・淳仁天皇(第47代天皇)・孝謙天皇(第46代天皇)・聖武天皇(第45代天皇)・元正天皇(第4

歴史 · 2018/04/24
新選組局長の近藤勇が亡くなってから150年。 幕府を守るために活躍した新選組ですが、いったいどんな人間関係、力関係だったのでしょうか? 九星気学で見てみると、なるほど、とうなづけるところがあります。

歴史 · 2018/04/22
2018年NHK大河ドラマ「西郷どん」をご覧になっていますか? ドラマを見ていると、西郷隆盛という人物は義理人情に厚くて、自分が信じる道だけを歩みたいという人のように感じます。 実際のところは、どうだったのでしょうか。 九星気学と宿曜占星術で、西郷隆盛の性格、人間関係を調べてみました。 明治時代にもなると、登場人物の誕生日が特定できるので、格段に調べやすいですね。

歴史 · 2018/04/13
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦のことです。 一般に、石田三成の西軍と、徳川家康の東軍とが対峙し、1日で決着した戦いのことを指します。 関ヶ原の戦いの前哨戦としての争いや、関ケ原以外での戦いも多数ありますが、ここでは、家康による上杉景勝討伐、西軍の総大将であった毛利輝元の動き、西軍の動きと、戦いに敗れたあとの石田三成の動きを取り上げています。

歴史 · 2018/04/06
年6月29日)に、長篠城をめぐって、織田信長・徳川家康連合軍と、武田勝頼の軍勢が戦った合戦です。 設楽原(したらがはら)での決戦は、馬防柵と鉄砲隊で迎え撃つ織田信長・徳川家康連合軍と、襲いかかる武田騎馬軍団という対比でとりあげられ、織田信長の天才ぶりを示す有名な戦いです。 織田信長は、天正元年(1573年)に足利義昭を追放、つづいて浅井・朝倉両氏を滅亡させ、天正2年には長島の一向一揆を殲滅した後の年になります。 武田氏とは、外交上は宥和関係にありましたが、足利義昭が書状を下して信長包囲網を企図したころから関係が悪化していました。

歴史 · 2018/04/05
織田信長は天文3年5月12日(1534年6月23日)生まれと推測されています。 信長の星は、 本命星:七赤金星 月命星:四緑木星 傾斜宮:八白土星 ※傾斜宮は本命星と月命星から割り出します。日盤とは異なります。 となります。

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