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本能寺の変の黒幕?九星気学でみる近衛前久の人間関係

九星気学でみる近衛前久の人間関係

織田信長を暗殺した首謀者・近衛前久

こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。

 

先日、おもしろい本を紹介していただきました。

 

作家の安部龍太郎さんが、作品を書くためにリサーチした内容などをまとめた「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」という本です。

 

これを読んで、近衛前久(このえさきひさ)という人物にがぜん興味を持ちました。

 

なぜなら、本能寺の変は、近衛前久が計画して、明智光秀が実行したというからです。

 

織田信長と近衛前久は、年齢も近く、興味や趣味が似通っていて、とても仲が良い時期があったそうです。

 

それなのに、織田信長を暗殺することになるとは。

 

いったいどうしてなのでしょう?

 

久しぶりに歴史上の人物の人間関係についてです。

 

五黄土星の近衛前久

近衛前久は、天文5年(1536年)生まれなので、五黄土星です。

 

五黄土星は、九星の中で最も強い帝王の星で、誰よりも強いと考えられています。

 

しかも、腐食作用があるので、周囲にさまざまに影響するという資質を持っています。

 

極端から極端に走りやすい資質を持っているので、大親友だった織田信長を暗殺してしまうという決断をしてもおかしくない人物です。

 

⇒ 九星気学でみる織田信長の人間関係

 

近衛前久と関係者の人間関係は?

近衛前久と、同時代人の関係者の本命宿を、五行に置いてみました。

 

近衛前久は五黄土星で土の性、足利義輝は近衛前久の従兄弟でもある足利将軍ですが、この義輝も五黄土星。

 

朝廷への尊崇が高く、近衛前久との関係も深かった上杉謙信は二黒土星です。

 

土の性は、金の性に対してエネルギーを送りますが、その金の性には、織田信長(七赤金星)、正親町天皇(六白金星)、細川幽斎(七赤金星)、松永久秀(六白金星)がいます。

 

なんとなく、キラキラした感じの人が金の性には多いイメージです。

 

九星気学でみる近衛前久の人間関係

近衛前久と相性の悪い三好長慶と足利義昭

近衛前久が若かったころ、都は三好長慶以下、松永久秀などに実質的に支配されていました。

 

その三好長慶は一白水星で水の性。

 

近衛前久からみると、土剋水という相剋の関係です。

 

土の近衛前久が、水の三好長慶を堰き止めるという関係で、どちらかといえば近衛前久に有利な関係です。

 

もちろん、仲は良くありません。

 

一方、足利義輝が死に、のちに将軍となった足利義昭とは、木剋土という相剋の関係です。

 

足利義昭は四緑木星で、木は土に根を張ることから、近衛前久にとって、足利義昭は目の上のたんこぶみたいな存在だったようです。

 

明智光秀は四緑木星?

以前、明智光秀を調べたときは、1528年生まれだとウィキペディアに記されていたのですが、あらためて見たら、生年月日は不詳となっていました。

 

もし、1528年生まれなら、明智光秀は四緑木星になります。

 

近衛前久にとって、明智光秀と足利義昭は同じ木の性なので、ちょっと面倒に思っていた可能性が高いです。

 

明智光秀は、本能寺の変のあと、豊臣秀吉に山崎の戦いで破れ、落ち武者狩りにあって亡くなった事になっていますが、「信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」では、逃げ延びた場所が、近衛前久に近い勧修寺晴豊(かじゅうじはれとよ)の所領地だという記載があると言うのです。

 

つまり、用無しになった明智光秀は、近衛前久によって殺された可能性もあるのです。

 

こわいですね、関白って。

 

本能寺の変のとき、近衛前久の運気は?

織田信長から本能寺の変の運気を読んだことがあります。

 

⇒ 本能寺の変 大凶方位へ何度も移動した織田信長

 

本能寺の変は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝におこった、日本史上でも謎の多い大事件。

 

この時の信長は、なぜか大凶の方位に何度も移動して、自らの運気を下げています。

 

九星気学でみる近衛前久の人間関係

 

本能寺の変の日の九星盤をみてみましょう。

 

1582年は、四緑木星中宮年で、近衛前久の五黄土星は北西にあり、織田信長の七赤金星は北東にあります。

 

北西は実がなるときで吉、北東は変化変動で厄年の入り口になります。

 

それまでの好調がウソのように悪化することがあってもおかしくないのが、変化変動の年です。

 

月盤は年盤と同じく、四緑木星が中宮です。

 

歳破も月破も北の九紫火星についていますが、本能寺の変の当日の日盤では、日破が南の七赤金星についています。

 

この日の五黄土星は、西にあり収穫のとき。

 

信長の暗殺を計画したのが近衛前久だとすると、計画の成就を意味しています。

 

そして、明智光秀が四緑木星であったとすれば、本能寺の変が失敗することはないという運気です。

 

この計画には、足利義昭も加担していたはずですから、四緑木星の足利義昭にとって、絶好のタイミングでありました。

 

 

信長暗殺計画を知っていた豊臣秀吉

信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変」には、織田信長の暗殺計画を事前に知っていた豊臣秀吉は、織田信長を見殺しにしたと書かれています。

 

豊臣秀吉は、1537年3月17日生まれとされているので、本命星は四緑木星です。

 

これは、足利義昭や明智光秀と同じです。

 

四緑木星中宮年、四緑木星中宮月に実行に移された本能寺の変ですから、豊臣秀吉にとっても有利な運気だったと言えます。

 

歴史を、このように見ていくと、驚くようなことに出会うことが多々あります。

 

九星のうち、本命星を見ただけでも、本能寺の変が織田信長にとって良くない運気のときに起こったことがわかります。

 

本命星だけでなく、月命星や傾斜宮もいっしょにみることができると、もっと詳しく読み取ることが可能になると思います。

 

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