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豊臣政権をつくった清須会議の真の勝者は誰か?

清須会議 本能寺の変 織田信長

清須会議とは?

本能寺の変で倒れた織田信長・信忠の後継者と、遺領の配分を決定することを目的に、開催された会議。

 

2012年に小説「清須会議」が出版され、2013年には映画化もされたので、ご存じの方も多いと思います。

 

尾張国清洲城(愛知県清須市)には、織田家の家臣を代表する、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、池田恒興の4人が集まりました。

 

清須会議が開かれた天正10年6月27日(1582年7月16日)の九星盤は、四緑木星中宮年、三碧木星中宮月、五黄土星中宮日でした。

清須会議 本能寺の変 織田信長
清須会議が開かれた日の九星盤

九星気学では秀吉に有利

羽柴秀吉(豊臣秀吉)については、「本能寺の変 大凶方位へ何度も移動した織田信長」のなかでも紹介していますが、あらためて書いておきます。

 

本命星:四緑木星

月命星:七赤金星

傾斜宮:二黒土星

※傾斜宮は本命星と月命星から割り出します。日盤とは異なります。 

 

清須会議 本能寺の変 織田信長
羽柴秀吉(豊臣秀吉)

 

農民の子どもであった秀吉の誕生日が正しいかどうかはともかく、秀吉は1537年3月17日生まれとされています。

 

清須会議の日の九星盤では、年盤では、四緑木星が中宮、つまり花が咲く年で、七赤金星は変化変動の北東、二黒土星は東の芽が出るときに位置しています。

 

月盤では、四緑木星は北西にあり、実をつけるときでした。七赤金星は南で、楽しい反面苦しいとき、二黒土星は東南にあり、葉を茂らせる運気上昇を暗示しています。

 

おなじく日盤では、四緑木星は東南、七赤金星は西の収穫のときを迎え、二黒土星は南西にあり、見えないところで根をはるというときです。

 

清須会議の日の九星盤の上で、秀吉の本命星・月命星・傾斜宮をみただけでも、秀吉に有利なことがわかります。

 

清須会議出席者それぞれの運気

一白水星の柴田勝家(1522年生まれ)

織田家の筆頭家老であった柴田勝家は1522年生まれの、一白水星(本命星)です。

 

清須会議の日は、年盤では南西(後厄、見えないところでがんばるとき)、月盤では東にあって芽が出るとき、日盤は北(本厄)です。

 

筆頭家老とはいえ、この日は運気的に良いとはいえません。

 

また、四緑木星の秀吉にとって、一白水星の柴田勝家はエネルギーを与えてくれる関係ですから、柴田勝家は最初から秀吉の敵ではなかったのかもしれません。

 

清須会議 本能寺の変 織田信長
柴田勝家

六白金星の丹羽長秀(1535年10月16日生まれ)

丹羽長秀は、

 

本命星:六白金星

月命星:六白金星

傾斜宮:二黒土星

 

という星めぐりです。

 

清須会議の日の丹羽長秀は、年盤では六白金星が西にあり収穫のときを示していますが、二黒土星は東にあり芽を出すとき。

 

月盤では、六白金星は北東の変化・変動にあり、二黒土星は東南の運気上昇をあらわしています。

 

日盤では、六白水星は北西にあり実をつけるとき、二黒土星は南西の後厄にありました。

 

清洲会議では、丹羽長秀は池田恒興とともに、秀吉が推す信長の嫡孫・三法師を支持しています。

 

その後、秀吉と勝家とが天下を争った天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでも秀吉を支持し、戦後には123万石の大名となっています。

 

清須会議で秀吉を支持したことにより、柴田勝家のように討死せずに済んだのかもしれません。

 

六白金星の丹羽長秀は、秀吉のやることに対しては斧のように切り込みますが、秀吉の持つ七赤金星と六白金星は同じ金の性ですから、敵対するというよりは、自分ならこうする、というやり方や考え方に多少の違いがあったものとみられます。

 

清須会議 本能寺の変 織田信長
丹羽長秀

五黄土星の池田恒興(1536年生まれ)

織田信長の乳兄弟であった池田恒興の本命星は五黄土星です。

 

清須会議の日の池田恒興は、年盤では五黄土星は北西にあって実をつけるとき。

 

月盤では西にあり、収穫のとき。

 

日盤では、五黄が中宮にあり、花を咲かせるときでした。

 

いいかえれば、日盤だけを見る限り、池田恒興が支持したほうが勝つという運気です。

 

池田恒興は、二流の武将というイメージが強いようですが、信長が織田家の家督を嫡男の信忠に譲ると、池田恒興は信忠の家老となっています。

 

信長にしてみれば、乳兄弟の恒興を信忠につけることで、将来的には恒興を補佐役として信忠に織田家を盛り上げてほしいという意図があったものと考えられます。

 

信長も若いころには、父・信秀から4人の家老がつけられており、安土城天守の見学を許されるほどであった林秀貞がいました。

 

安土城の完成は天正6年ですから、織田家家老として長年、信長に仕えたことになります。

 

この林秀貞と同じような役割を、池田恒興は担っていたものと考えられるのです。

 

そのため池田恒興は、織田家の家督は信忠の嫡男・三法師が継ぐのは当然と考えていたのではないでしょうか。

 

また、五黄土星の池田恒興は、羽柴秀吉の四緑木星に剋され、七赤金星にはエネルギーを与え、二黒土星とは同じ土の性です。

 

池田恒興は、秀吉の行動に対しては何もできず、心情的には同類という人ではなかったかと思われます。

 

清須会議 本能寺の変 織田信長
池田恒興

清須会議当日の参加者全員の運気を比較

    羽柴秀吉  柴田勝家  丹羽長秀  池田恒興
年盤 

本命星

 月命星

 傾斜宮

花が咲く

変化変動

芽が出る

根を張る

 

 

収穫する

収穫する

芽が出る

 実をつける

 

 

月盤

本命星

 月命星

 傾斜宮

実をつける

陽があたる

枝葉が繁る

芽が出る

 

 

変化変動・月破

変化変動・月破

枝葉が繁る

収穫する

 

 

日盤

本命星

 月命星

 傾斜宮

変化変動

実をつける

根を張る・日破

本厄

 

 

実をつける

実をつける

根を張る・日破

花が咲く

 

 

 

このように一覧にすると、柴田勝家の運気がひとりだけ良くないことがわかります。

 

三法師、信雄、信孝の運気は?

清須会議には出席していませんが、後継者候補であった3人の運気もみてみましょう。

 

六白金星の三法師(1580年生まれ)

丹羽長秀と同じく、本命星は六白金星です。

 

六白金星は、年盤では西:収穫する、月盤では北東:変化変動で月破、日盤では北西:実をつけるとなっています。

 

一白水星の織田信雄(1558年5月11日生まれと推定)

信長の次男・信雄は、三男・信孝よりも20日遅く生まれたと言われています。

 

信孝の母の地位が低かったために、信長への報告が遅くなったことが原因のようです。

 

そのため、遅く生まれた信雄が次男、20日早く生まれた信孝が三男となりました。

 

織田信雄は、

 

本命星:一白水星

月命星:五黄土星

傾斜宮:一白水星

 

となっています。

 

清須会議の日の信雄は、年盤では本命星と傾斜宮が南西:根を張る、月命星が北西:実をつけるときでした。

 

月盤では、本命星と傾斜宮が東にあるものの五黄土星に暗剣されていて大凶です。

 

日盤では、月命星の五黄土星が中宮で花が咲くときでしたが、本命星と傾斜宮が北の本厄に位置していました。

 

清須会議 本能寺の変 織田信長
織田信雄

一白水星の織田信孝(1558年4月22日生まれ)

織田信孝は、

 

本命星:一白水星

月命星:六白金星

傾斜宮:九紫火星

 

という星の持ち主です。

 

清須会議の日の運気は、年盤では一白水星が南西:根を張る、六白金星が西:収穫する、九紫火星は北の本厄で歳破を帯びています。

 

月盤では、一白水星は東:芽が出る、六白金星が北東:変化変動で月破、九紫火星は南西:根を張るというとき。

 

日盤では、一白水星は北の本厄、六白金星は北西:実をつける、九紫火星は南:陽があたるという運気です。

 

清須会議の日の運気は、信雄よりも良いように見えますが、歳破・月破を伴っていて、信孝の運気もそんなに良いとは言えません。

 

信孝は柴田勝家とともに秀吉軍と戦い、のちに自害させられます。

 

清須会議 本能寺の変 織田信長
織田信孝

清須会議の真の勝者は誰か?

清須会議は、羽柴秀吉が豊臣政権を築く足掛かりとなった重要な会議ですが、結局は豊臣家は滅亡します。

 

そして柴田勝家は、秀吉に討たれてしまいます。

 

丹羽長秀は、豊臣政権下では大大名でしたが、長秀の死後、後を継いだ長重は秀吉から領国の大半と、長秀時代の有力家臣まで召し上げられてしまいます。

 

その後の丹羽家は徳川政権に組みし、福島県の棚倉藩、白河藩と転封され築城をまかされ、長重の子・光重の代になると二本松藩に転封となり、その後は代々二本松藩主として明治を迎えます。

 

いずれの藩も財政は苦しく、丹羽家には貧しい土地が与えられたのでした。

 

⇒ 棚倉城址と赤館跡

⇒ 白河市 国指定史跡 小峰城

⇒ 国指定史跡 二本松城(霞ヶ城公園)

 

池田恒興は、天正12年(1584年)の徳川家康・織田信雄と秀吉との小牧・長久手の戦いで戦死。

 

池田家は次男の輝政が継承し、初代姫路藩主となり、徳川政権下において、徳川一門以外の大名ではじめて参議に任官されました。

 

また、徳川家と縁組し、明治に至るまで池田家が繁栄する基盤となりました。

 

織田信雄は、元和元年(1615年)7月23日、家康から大和国宇陀郡、上野国甘楽郡など5万石を与えられ、悠々自適の生活をおくりました。

 

その子孫の系統は、現在の皇室へ繋がっています。

 

こうしてみると、真の勝者は、池田恒興と織田信雄であったように思えます。

 

池田恒興は本命星が五黄土星、織田信雄も月命星に五黄土星をもっています。

 

五黄土星は、九星の中心であり、どの星よりも強力です。

 

この二人のその後と、子孫の行方を知ると、五黄土星のしぶとさが見て取れます。

 

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