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父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

徳川家康が嫌ったという松平忠輝とは?

こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。  

 

徳川家康は子沢山として知られますが、その家康が嫌っていたと伝わるのが松平忠輝です。

 

その理由として、容貌が、家康の嫡男である松平信康に似ていたから、とも、母の身分が低かったからとも伝わっています、

 

松平信康は、織田信長の命により、徳川家康が自害させたと言われていますが、最近の研究では、武田信玄に近い松平信康と対立した結果の自害であるという説も登場しています。

 

松平忠信について調べてみました。

 

松平忠輝を九星気学で占ってみると?

■松平忠輝(3-5-3)

松平忠輝は、1592年2月16日生まれ。

 

本命星:三碧木星

月命星:五黄土星

傾斜宮:三碧木星 

 

松平忠輝は、本命星と傾斜宮の三碧木星が、月命星の五黄土星に対して木剋土(木は土をしめつけ栄養を奪う)という相剋の関係です。

 

三碧木星は音であり、言葉をあやつる能力を表しています。

 

おしゃべりは三碧木星の特性ですが、考えなしに言葉にしてしまうことも多く、無用の敵をつくりやすい傾向があります。

 

また、三碧木星は、誰よりも早く、新しいことを試したいという気持ちが強い一方、潔癖症で、シロクロつけたい傾向が見られます。

 

この星回りは三碧木星を2つも持っているので、開拓精神にあふれ、自分のやりたいことのためには、何度でもトライするバランスの良さ、強さを持っています。

 

松平忠輝は、海外との交易に興味を示し、武術を好むと同時に茶道、絵画、薬学に通じた文化人だったと言われていますので、新しいこと全般に興味があったのではないでしょうか。

 

九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。

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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?

 

松平忠輝の運気を九星気学でみてみると

■1598年 徳川家康と面会

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1598年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。

 

三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。

 

しかし、このとき松平忠輝は幼児ですので、月命星で運気をみます。

 

月命星の五黄土星は東南にあり、運気は旺盛ですが、歳破がついています。

 

松平忠輝は、生まれてまもなく下野栃木(皆川)城主の皆川広照に養育されており、このとき初めて、父である徳川家康に面談します。

 

松平忠輝と面会した徳川家康は、「恐ろしき面魂かな、三郎(松平信康)が幼かりし時に違ふところなかりけり」と語ったと伝わっています。

 


■1599年 長沢松平氏の家督を相続

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1599年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位に戻って東にあり、運気は上昇に転じます。

 

また、月命星の五黄土星は花が咲くとき。

 

定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。 

 

松平忠輝は、同母弟の松千代が早世したため、弟の名跡を継ぐ形で長沢松平氏の家督を相続し、武蔵国深谷1万石を与えられます。

 

弟の跡を継ぐことは異例のことですが、このときの九星盤をみれば、松平忠輝が人生の転機を迎えたことがわかります。

 


■1602年 元服

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1602年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。

 

三碧木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも目立つときです。

 

また、月命星の五黄土星は北東にあり、変化変動です。

 

松平忠輝は、下総国佐倉5万石に加増移封され、元服して上総介忠輝を名乗るようになります。

 


■1606年 伊達政宗の長女・五郎八姫と結婚

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1606年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり本厄、そして歳破がついています。

 

三碧木星の定位には五黄土星が回座し、自滅の暗示がありますが、月命星の五黄土星が回座していることになりますので、精神的な強さが行動を剋しているとも読めそうです。

 

五黄土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。

 

松平忠輝は、附家老の大久保長安の仲介により、伊達政宗の長女・五郎八姫と結婚します。

 


■1610年 高田藩30万石を加封される

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1610年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。

 

しかし、三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。

 

松平忠輝は、高田藩30万石を加封されます。

 

当初は、堀氏が築いた福島城を居城としましたが、内陸に高田城を築城します。

 

高田城は天下普請とされ、忠輝の義父である伊達政宗をはじめとした13家の大名の助役で築造されることになります。

 


■1614年 高田城に入城

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1614年は八白土星中宮年で、三碧木星は南にあり、前厄です。

 

前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。

 

三碧木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。

 

松平忠輝は、福島城から高田城に引っ越します。

 

方位をみると、北の福島城から、南の高田城に引っ越したことになります。

 

南は三碧木星の方位なので、松平忠輝は本命殺という大凶の方位に移動しています。

 

本命殺を移転につかうと、原因不明の病気や苦しみにあい、徐々に運気・身体の状態が低下していくと考えられています。

 


■1616年 改易

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1616年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。

 

三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。

 

松平忠輝は、家康は死の間際、秀忠・義直・頼宣・頼房らを呼びながら、忠輝だけは最後まで面会を許されませんでした。

 

徳川家康の死後、松平忠輝は、改易を命じられて伊勢国朝熊に流罪となります。

 

この年の運気をみる限り、改易を命じられるような悪い運気でありませんので、高田城に引っ越した悪影響が出ていると考えられます。

 


■1683年 死去

父・徳川家康に嫌われた松平忠輝の性格・運気・運勢を占ってみると

1683年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。

 

三碧木星の定位には九紫火星が回座し、注目を集める暗示がありますが、「離」の作用が働くときです。

 

別居・別離など、離れることを意味しており、松平忠輝の場合は、死別ととらえることになります。

 

享年92歳。

 

父・徳川家康に嫌われた波乱の人生でしたが、改易後は穏やかな時を過ごしたようです。

 


松平忠輝を宿曜占星術で占ってみると?

■松平忠輝【婁宿】

宿曜占星術では、松平忠輝は婁宿の生まれです。    

 

婁宿は、生まれつきタレント性がある本命宿です。

 

婁宿さんは、何事にも器用で、一芸に秀でた人が多いのですが、自説を主張することにかけては、頑固で強硬、妥協しません。

 

三碧木星生まれの松平忠輝は、言語能力が高かったはずなので、口では勝てないタイプだった可能性が高そうです。

 

松平忠輝が、1609年に、皆川広照、山田重辰、松平清直ら古くからの家臣から、素行が悪いと徳川家康に訴えられますが、婁宿さんの頑固さが災いしたかもしれません。

 

婁宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「婁宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。

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