
大塩平八郎の乱
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大塩平八郎は、大坂町奉行組与力で、大塩平八郎の乱を起こしました。
独自に陽明学を収めた学者でもあります。
大塩平八郎について調べてみました。
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大塩平八郎を九星気学でみると?
■大塩平八郎(9-5-9)
大塩平八郎は、1793年3月4日生まれ。
本命星:九紫火星
月命星:五黄土星
傾斜宮:九紫火星
大塩平八郎は、本命星と傾斜宮の九紫火星から月命星の五黄土星へエネルギーが流れる相生の関係です。
芸術的センスに優れた人が多く、カリスマ性を発揮するタイプです。
九紫火星生まれは、頭脳明晰で、先見性もありますが、派手好きで、熱しやすく冷めやすい性質を持っています。
九紫火星生まれは、華やかなもの、一過性の流行などを好みますから、その言動は目立ちます。
他人の欠点や弱点を指摘したり、人と争いをおこしたり、秘密にすべきことを口外したりすることも平気です。
これをさらにバックアップするのが、月命星の五黄土星です。
五黄土星は、九星のなかで最も強力な帝王の星であり、強い自我を持っています。
そのため、自分のライバルに対しては、対抗意識を燃やし、駆け引きし、絶対に負けない支配者のように振る舞うことさえあります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【九紫火星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
大塩平八郎の運気を九星気学でみてみると?
■1833年 天保の大飢饉
1833年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位の南にもどり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときでもあります。
天保の大飢饉がおこり、大坂西町奉行の矢部定謙が、大塩平八郎を顧問のように遇します。
■1837年 大塩平八郎の乱
1837年は一白水星中宮年で、九紫火星は東南にあり、運気は旺盛です。
九紫火星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
大塩平八郎は、武装蜂起によって奉行らを討ち、豪商を焼き討ちするほかないとして、乱を起こします。
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■1837年5月1日 自決
1837年5月1日、大塩平八郎は、幕府方に潜伏先が発覚して自決します。
この日の九星盤をみると、年盤の九紫火星は五黄殺、月盤でも五黄殺であり、自分の言動が原因で自滅する運気です。
また、日盤でも五黄殺の暗示があるので、大塩平八郎は、乱を起こしたことが原因で窮地に陥ったことがわかります。
こんなにきれいに、九星盤に五黄殺が現れているのですから、自決によって人生を終えるのは運命だったと思われます。
大塩平八郎を宿曜占星術でみると?
■大塩平八郎【尾宿】
宿曜占星術では、大塩平八郎は尾宿の生まれです。
尾宿は、別名「狩人の星」、人との競い合いに強い武将の本命宿です。
尾宿さんは、競い合って勝ち抜くことへの執念が強く、それだけに頑固で偏屈でもあります。
また、尾宿さんは、まじめで善行への関心が強いため、親交のある人からは絶大な信頼を得ますが、駆け引きや根回しなどには関心がありませんので、対人関係がかならずしもスムーズとはいきません。
大塩平八郎は、月曜生まれの尾宿さんなので、あちこちに気をとられ、決断が遅いようです。
腹がたつことがあっても表に出さないので、リーダーの資質がありますが、世の中に出る機会に恵まれにくい傾向があります。
尾宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「尾宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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