
生誕百年
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
三島由紀夫は、「世界の百人」に選ばれた初の日本人としても知られています。
三島由紀夫の美しい文章はよく知られていますが、昭和という時代を色濃く投影した作品が多いように感じます。
最後は割腹自殺してしまうなど、作品以外でも話題に事欠かない作家だったのではないでしょうか。
三島由紀夫について調べてみました。
|
九星気学でみる三島由紀夫とは?
■三島由紀夫(4-6-3)
三島由紀夫は、1925年1月14日生まれ。
本命星:四緑木星
月命星:六白金星
傾斜宮:三碧木星
三島由紀夫は、本命星の四緑木星と月命星の六白金星とは、金剋木(金属は木を切り倒す)の相剋の関係です。
しかし、傾斜宮の三碧木星は、四緑木星と同じ木の性にあるため、本音の部分と行動は一致しています。
行動に起こす前に考えすぎてしまう傾向があり、結局実行せずに、後悔するということが多いタイプです。
四緑木星は風であり、隙間から吹き入り、障害物に突き当たれば流を変えることから、情勢に応じて対応する性質を持っています。
三島由紀夫は、川端康成を終生の恩人として敬い、慕っていたことが知られていますが、このような生き方こそが四緑木星に似合っています。
三島由紀夫とまったく同じ星回りには、三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎や、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹がいます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
↓
⇒ 【四緑木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
九星気学でみる三島由紀夫の運気とは?
■1941年 『花ざかりの森』
1941年は五黄土星中宮年で、四緑木星は定位の東南にもどり、運気は旺盛です。
定位にもどったときは、新しいステージに移行するときです。
処女作の『花ざかりの森』が、『文藝文化』昭和16年9月号から12月号に連載され、若干16歳で文壇デビューします。
|
■1946年 『岬にての物語』
1946年は九紫火星中宮年で、四緑木星は南にあり、前厄です。
しかも暗剣殺なので、他動的な破壊性、たとえば目上の判断などで邪魔をされる暗示があります。
川端康成の手助けもあり、『岬にての物語』が『群像』11月号において発表されます。
この物語の舞台となっているのは、千葉県の鵜原理想郷です。
また、太宰治とたった一度の対面となった飲み会に参加し、正面から太宰作品が嫌いであると言い放ちます。
|
■1949年 『仮面の告白』
1949年は六白金星中宮年で、四緑木星は東にあり、運気は上昇に転じます。
四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
三島由紀夫は、大蔵省を退官して挑んだ『仮面の告白』が出版されます。
同性愛をテーマにしたことで、世間の話題をさらいました。
|
■1951年 『禁色』
|
■1954年 『潮騒』
1954年は一白水星中宮年で、四緑木星は北東にあり、変化変動です。
四緑木星の定位には九紫火星が回座し、栄誉と注目の暗示があります。
三島由紀夫は、書き下ろし長編の『潮騒』を発表すると、ベストセラーとなり、第1回(1954年度)新潮社文学賞を受賞します。
刊行後は、複数の映画会社が映画化をめぐる争奪戦を繰り広げます。
アメリカでも翻訳出版され、ベストセラーとなりました。
日本を代表する作家として、世界的な認知が広がり、三島由紀夫自身の言動に注目が集まります。
|
■1955年 肉体改造
1955年は九紫火星中宮年で、四緑木星は南にあり前厄、そして暗剣殺です。
四緑木星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
三島由紀夫は、週3回のボディビルをはじめ、肉体改造にとりかかります。
|
■1956年 『金閣寺』
1956年は八白土星中宮年で、四緑木星は北にあり、本厄です。
四緑木星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大とよろこびごとの暗示があります。
三島由紀夫は、のちに代表作となる『金閣寺』の連載をスタートさせます。
読売文学賞(小説部門)を受賞し、文庫版は累計売上330万部を超えるロングセラーとなります。
|
■1958年 結婚
1958年は六白金星中宮年で、四緑木星は東にあり、運気は上昇に転じます。
四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
三島由紀夫は、6月1日に、川端康成夫妻を媒酌人として結婚します。
また、『鏡子の家』の執筆も開始し、三島由紀夫自身の青春と戦後時代の総決算のような作品となります。
しかし、成功とは言えない結果を残します。
|
■1961年 『宴のあと』裁判
1961年は三碧木星中宮年で、四緑木星は北西にあり、実をつけるときですが、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
三島由紀夫は、1960年に連載した『宴のあと』が、プライバシーの侵害であるとして訴えられ、裁判となります。
この裁判は1964年に結審し、三島側が80万円の損害賠償の支払いを命じられます。
これ以降、三島由紀夫は、たびたび時の人となっていきます。
|
■1964年 東京オリンピックを連日取材
1964年は九紫火星中宮年で、四緑木星は南にあり前厄、そして暗剣殺です。
前厄のときは陽が当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
三島由紀夫は、新聞社の特派員として、東京オリンピックを連日取材します。
また、このころ連載していた『絹と明察』では労働争議を取り上げ、毎日芸術賞の文学部門賞を受賞します。
暗剣殺で、足を引っ張られたり、思い通りにならないこともあったと思いますが、三島由紀夫が輝いていたときだと思われます。
|
■1965年 映画『憂国』
1965年は八白土星中宮年で、四緑木星は北にあり、本厄です。
四緑木星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大とよろこびごとの暗示があります。
三島由紀夫は、自身の短編小説『憂国』を、自ら脚色・監督・主演する映画として制作します。
公開は1966年で、記録的なヒット作となります。
|
■1967年 自衛隊に体験入隊
|
■1968年 「楯の会」
|
■1970年 市ヶ谷駐屯地で自決
宿曜占星術でみる三島由紀夫とは?
■三島由紀夫【亢宿】
宿曜占星術では、三島由紀夫は亢宿の生まれです。
亢宿の「亢」とは、抵抗の抗でもあります。
亢宿さんは、まじめで愚直、ストイックであり、何事にも全身で取り組み、限界まで努力し続けるという資質を持っています。
作品の多さ、俳優もやれば、自衛隊に体験入隊したり、海外旅行もよくしていた三島由紀夫は、ネットもない時代に、さまざまな事にチャレンジし、多くの人間に影響を与えました。
これは、亢宿さんが持つ、清濁併せ飲むことができない資質や、小手先でやり過ごすことを好まない資質によるものではないでしょうか。
物事の本質を見る目を持っており、時代を喝破するような作品が多いのは、亢宿さんの性質によるものだと思います。
三島由紀夫は、水曜生まれの亢宿さんなので、善良で、人の言うことには素直に従うようです。
理論より実践を重んじるため、努力を惜しまず、周囲からの尊敬を集めるでしょう。
亢宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「亢宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」を読みになってください。
↓
自分のことを知りたい!今の悩みやトラブルはどうなるのか?ということを知りたい方は、お問合せからご連絡ください。
↓
鑑定のご依頼をお待ちしております。
また、LINEのお友達に「霊符ワークス(https://lin.ee/jUg7TVJ)」を登録していただくと、大変お得になります。
もっと読みたい方は 開運ブログへ