アンチ田沼派の黒幕
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のなかで、田沼意次を嫌って、アンチ田沼の黒幕として暗躍したといわれる徳川(一橋)治済。
ドラマや映画では、けっこう嫌なタイプに描かれることが多いようです。
徳川(一橋)治済について調べてみました。
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徳川(一橋)治済を九星気学でみると?
■徳川(一橋)治済(6-4-7)
徳川(一橋)治済は、1751年12月23日生まれ。
本命星:六白金星
月命星:四緑木星
傾斜宮:七赤金星
徳川(一橋)治済は、本命星の六白金星と月命星の四緑木星は、金剋木(金属は木を切り倒す)という相剋の関係です。
自分のことより周囲の人のことを考えて行動するため、迷いもあれば、不満足な状態に終わることが多いと言えます。
六白金星生まれは、自尊心が高い理想主義者であり、負けず嫌いです。
上位に向かって前進しようとする性質が強く、人に従うことを極端に嫌います。
四緑木星は相手の心を読み取る交際上手ですが、人を信用しすぎて警戒心を怠る傾向が強く、だまされることも。
七赤金星はカンの良さと自己顕示欲の強さを表し、七赤金星生まれも、人から軽視されることを嫌います。
言い換えれば、この星回りの人は、人より上位にあるための勉強や努力は欠かさないという資質を持っているのです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【六白金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川(一橋)治済の運気を九星気学でみると?
■1764年 一橋家の家督を継ぐ
1764年は二黒土星中宮年で、六白金星は南にあり、前厄です。
六白金星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
徳川(一橋)治済は、一橋家の家督を継ぎます。
■1786年 田沼意次を罷免させる
1786年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気旺盛です。
また、定位対冲であり、運命の歯車が大きく動くときです。
徳川(一橋)治済は、将軍・徳川家治が亡くなり、徳川家斉が11代将軍に就任すると、田沼意次を罷免させます。
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■1788年 尊号一件
1788年は五黄土星中宮年で、六白金星は定位の北西にもどり、実をつけるときです。
定位にもどったときは、新しいステージに移行するときです。
将軍・徳川家斉は、父の徳川(一橋)治済を「大御所」待遇にしようとしますが、当時の朝廷で、光格天皇が実父・典仁親王にたいして、太上天皇の尊号を贈ろうとしたことに反対した、老中・松平定信と対立する尊号一件が発生していました。
そのため、治済を「大御所」待遇にできなくなりました。
その怒りを買った、松平定信が失脚します。
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■1799年 隠居
1799年は三碧木星中宮年で、六白金星は北東にあり、変化変動です。
六白金星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
徳川(一橋)治済は、一橋家の家督を、六男・斉敦へ譲って隠居します。
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■1827年 死去
1827年は二黒土星中宮年で、六白金星は南にあり、前厄です。
前厄のときは、「離」の作用が働くときでもあり、別離のときとなります。
徳川(一橋)治済は、77歳で亡くなります。
徳川(一橋)治済を宿曜占星術でみると?
■徳川(一橋)治済【壁宿】
宿曜占星術では、徳川(一橋)治済は壁宿の生まれです。
壁宿は、世話好きで上からも下からも愛される本命宿です。
壁宿さんは、冷徹ともいえるほどの観察眼があり、人を見る目を持っており、本質は参謀タイプ。
また、壁宿さんは学問や芸術を好みますが、名誉よりも実利を重んじ、金銭感覚に優れています。
徳川(一橋)治済は、木曜生まれの壁宿さんなので、素直な性格で、これという欠点がなく、几帳面な人だったようです。
しかし胸中には屈託があり、晴れることがなかったのかもしれません。
壁宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「壁宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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