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板垣退助の性格・運気・運勢とは?

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

自由民権運動の主導者

こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。  

 

板垣退助といえば、「板垣死すとも自由は死なず」という言葉で有名です。

 

歴史的には、「憲政の父」「国会を創った男」と評されています。

 

板垣退助について調べてみました。

 

板垣退助を九星気学で占ってみると?

■板垣退助(1-5-1)

板垣退助は、1837年5月21日生まれ。

 

本命星:一白水星

月命星:五黄土星

傾斜宮:一白水星

 

板垣退助は、本命星と傾斜宮の一白水星と月命星の五黄土星が、土剋水(土は水をせき止める)の相剋の関係です。

 

一白水星は水であり、器の形を選ばないことから柔軟な姿勢を意味しています。

 

困難な状況にあっても、克服し、実行するような強さを持っており、行動的というよりは、むしろ思索的であり、創造力や企画力にすぐれています。

 

しかし、この一白水星を五黄土星が尅しているので、相手に合わせているように見えて、自己主張がかなり強いタイプと言えるでしょう。

 

五黄土星は帝王の星であり、極端な性格となってあらわれやすい傾向があります。

 

自分の考えを主張する性質が強く、周囲からはわがままに見られやすいのが五黄土星です。 

 

精神的にはとても強いので、周囲との関係にヒビが入りやすと言えるかもしれません。

 

九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。

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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?

 

板垣退助の運気を九星気学でみてみると

■1873年 征韓論争

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

1873年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。

 

一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。

 

板垣退助は、征韓論を主張しますが、岩倉具視らによって閣議決定を反故にされ、西郷隆盛などとともに下野します。

 

世論はこれを支持し、板垣・西郷に倣って職を辞する官僚が600名あまりとなり、板垣退助が、土佐で自由民権を唱える契機となります。

 


■1874年 『民撰議院設立建白書』

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

1874年は九紫火星中宮年で、一白水星は北西にあり、実をつけるとです。

 

一白水星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。

 

板垣退助は、議会制政治を目指して愛国公党を結成。

 

後藤象二郎らとともに『民撰議院設立建白書』を提出しますが、却下されます。

 


■1881年 自由党結成

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

1881年は二黒土星中宮年で、一白水星は東南にあり、運気は旺盛です。

 

一白水星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。

 

板垣退助は、国会開設の詔が出されたため、自由党を結成して党首となります。

 


■1882年4月6日 岐阜事件

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

 

1882年4月6日、板垣退助は、岐阜で遊説中に暴漢に襲われ負傷します。

 

この日の九星盤を見てみましょう。

 

年盤では、一白水星が中宮にあり、花が咲くときです。

 

一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。

 

月盤では、一白水星は南にあり前厄であり、良くも悪くも注目される暗示があります。

 

年盤の一白水星には、月盤の六白金星が回座し、ここでも目上のサポートがある暗示があります。

 

日盤と月盤はどちらも同じ六白金星中宮なので、この傾向はさらに強まります。

 

板垣退助が、暴漢に襲われて出血しながらも、「吾死スルトモ自由ハ死セン」と言ったそうで、これが「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになったと言われています。

 

目上のサポートがある暗示とは、このような形で歴史の1ページを飾ったことを示しているのかもしれません。

 

■1887年 「伯爵」となる

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

1877年は五黄土星中宮年で、一白水星は定位にもどって北にあり、本厄です。

 

定位にもどったときは、新しいステージに移行するときです。

 

板垣退助は、「伯爵」の位を賜り華族に列せられますが、一君万民、四民平等を唱えてきたことから、叙爵を辞退しますが、周囲からの説得を受けて、結局、叙爵します。

 


■1896年 内務大臣

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

1896年は五黄土星中宮年で、一白水星は定位にもどって北にあり、本厄です。

 

定位にもどったときは、新しいステージに移行するときです。

 

板垣退助は、第2次伊藤内閣において内務大臣として入閣します。

 


■1898年 隈板内閣

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

1898年は三碧木星中宮年で、一白水星は東に出て、運気は上昇に転じます。

 

一白水星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。

 

板垣退助は、大隈重信の進歩党と合同して憲政党を組織し、日本初の政党内閣となる第1次大隈内閣において、内務大臣に就任します。

 

この内閣は、隈板内閣と呼ばれるようになります。

 


■1919年7月16日 死去

板垣退助の性格・運気・運勢とは?

 

1919年7月16日、板垣退助は亡くなります。

 

この日の九星盤では、一白水星は北西にあり、実をつけるときですが、一白水星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺(自滅)の暗示があります。

 

月盤も年盤と同じなので、持病の悪化もあったのかもしれません。

 

日盤では、一白水星は南西にあり、後厄です。

 

しかし、年盤と月盤の一白水星には、日盤の五黄土星が回座し、五黄殺です。

 

この日の九星盤では、体力の消耗、老化の促進といった暗示があります。

 

板垣退助の死因は肺炎となっていますが、他にも原因がありそうです。 

 

板垣退助を宿曜占星術で占ってみると?

■板垣退助【箕宿】

宿曜占星術では、板垣退助は箕宿の生まれです。   

 

箕宿は、度胸が良い本命宿です。

 

箕宿さんは、自分を頼ってくる弱者や、好きな人のためなら「たとえ火のなか、水の中」と果敢に問題に取り組みます。

 

また、金離れが良いため、遊興の場では人気があります。

 

箕宿さんは、お金は入りますが、出るのも多いという運勢であり、貯蓄は下手な方です。

 

箕宿さんは六大強宿のひとつでもあり、良い資質が出てくれば、艱難辛苦のすえに何事も実現させますが、悪い資質が出てしまうと、遊びが過ぎて身を滅ぼします。

 

箕宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「箕宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。

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